採用偏重からの脱却。経営者が問われる「人的資本経営」と本質的な人事の要諦

多くの企業が「人的資本経営」を標榜し、人材をコストではなく資本と捉えるパラダイムシフトに取り組んでいます。しかし、エグゼクティブ・サーチの最前線で数多くの経営会議の裏側を見つめてきた私から見ると、その実態は極めて危ういと言わざるを得ません。

なぜなら、大半の企業において人的資本経営が「単なる採用強化」へと矮小化されているからです。優秀な人材さえ採れれば組織は変わるという幻想を抱き、人事部も経営陣も「採用」という部分最適の罠に陥っています。本稿では、「採用しか知らない」状態が引き起こす経営へのダメージに警鐘を鳴らし、経営指標(KGI)と連動した「本質的な人事」の構造を紐解きます。

「採用しか知らない」組織が陥る、部分最適と価値毀損のメカニズム

結論から申し上げますと、採用プロセスへの過度な依存は、組織全体のパフォーマンスをかえって低下させるリスクを孕んでいます。以下に、採用偏重の組織に共通する「部分最適の病理」をまとめます。

  • 人事KPIと経営KGIの断絶:人事部が「採用予定人数の達成」や「採用単価の抑制」をKPIとし、事業部門の「労働生産性向上」や「営業利益(KGI)」と連動していない。
  • オンボーディングと配置の軽視:獲得したタレントを既存の硬直化した組織構造に押し込み、結果として早期離職やエンゲージメント低下を引き起こしている。
  • 「青い鳥症候群」の蔓延:内部人材の育成や評価制度の改革から目を背け、「外部から救世主(スーパースター)を連れてくれば解決する」という思考停止に陥っている。

これらは、経営陣が人事に対して「事業を牽引するための構造的アプローチ」を求めてこなかった結果です。人事部は「オーダー通りに人を採用すること」を至上命題とし、経営陣は「人が足りないから業績が上がらない」と嘆く。この相互依存的な責任転嫁こそが、人的資本経営を形骸化させる最大の要因です。

人事部指標(KPI)の達成が、経営指標(KGI)を破壊するパラドックス

ここで、多忙な経営トップの皆様に一つ問いかけたいと思います。「人事部の採用目標達成の報告を受けて、事業の営業利益率は向上しましたか?」

もし答えがノーであれば、貴社の採用戦略は致命的な部分最適に陥っています。例えば、人事部が採用リードタイムの短縮と採用人数の確保(KPI)を達成したとします。しかし、現場の受け入れ態勢やカルチャーフィットの検証が甘かったために、既存社員のマネジメント工数が激増し、結果として事業部門の顧客対応品質や利益率(KGI)が低下する。これは決して珍しいケースではありません。

「採用はあくまで事業成長のための『変数』の一つに過ぎない。変数を入力した後の関数(組織構造、評価、育成)がバグを起こしていれば、いくら良質な入力をしても正しい出力(企業価値の向上)は得られない。」

この事実から目を背け、人事部に「もっと良い人を採用しろ」と発破をかけることは、経営者としての職務怠慢と言っても過言ではありません。経営者が真に向き合うべきは、点(採用)ではなく、線(従業員体験)と面(組織全体の出力)の設計です。

本質的な人事とは「経営KGIへのダイレクトな接続」である

では、「採用しか知らない」状態から脱却し、人的資本経営を体現する本質的な人事へと昇華させるためには何が必要でしょうか。それは、人事の成果指標を、人材獲得プロセスからビジネスインパクトへと転換することです。

1. 採用KPIから「Time to Productivity(戦力化までの時間)」へのシフト

人事の評価を「入社日」で終わらせてはいけません。入社した人材が、いかに早く自走し、事業の売上や利益に貢献し始めたか。この「Time to Productivity」を人事と事業部門の共通KPIとして設定することで、採用の質とオンボーディングのプロセスが一気に研ぎ澄まされます。

2. ROIC(投下資本利益率)や従業員一人当たり営業利益との連動

人的資本「経営」と呼ぶからには、採用コストや人件費を投資と捉え、そのリターンを厳密に測定する必要があります。全社的なROICや一人当たりの営業利益(KGI)を人事戦略の最終ゴールと定め、その数値を最大化するために「採用すべきか、既存社員をリスキリングすべきか、あるいは業務プロセスを自動化すべきか」というフラットな選択肢の中から最適な手札を切るのが、本質的な人事の役割です。

孤独な意思決定を担う経営者へのメッセージ

経営とは、常に不確実性と向き合い、孤独な決断を繰り返す過酷な営みです。だからこそ、「優秀な人材を採用すればなんとかなる」という甘美な幻想にすがりたくなる瞬間があるのも痛いほど理解できます。

しかし、本質的な課題は「誰をバスに乗せるか」以前に、「そのバスがどこへ向かい、内部の座席がどう設計されているか」にあります。採用という部分最適のアラートに気づいた今こそ、経営陣自らがCHRO(最高人事責任者)と膝を突き合わせ、組織の非合理性を根底から解き明かす時です。貴社の真のポテンシャルを解放する「本質的な人事戦略」への舵切りを、今ここから始めてください。

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