買収した会社に、買収前からの不適切な会計処理が見つかる。このとき続けるか手放すかを決めるのは、判明した損失の大きさではない。その会社の数字を作り直せる人を、自社から送り込めるかどうかである。
送れるなら再建は選択肢になる。送れないなら、持っていても価値は落ちていく。手放すという判断は、事業への評価ではなく、経営資源の有無から出てくることが多い。
報じられた事実
マールオンラインの報道によると、NISSHA(7915)は2026年5月に子会社化したベトナムの医療機器メーカーについて、買収前に不適切な会計処理があったことが判明したとして、同社の取締役に株式を譲渡すると発表した。今後の企業価値の保全や向上が困難と判断したためとされる。
対象会社は2025年12月期で売上高25億円、純資産49億9000万円。NISSHAはベトナム子会社と共同で株式の60%を保有しており、2026年9月中旬に50%を譲渡し、残る10%は2027年9月中旬から2028年9月中旬の間に譲渡する予定だという。譲渡価額は公表されていない。
ここから先は公開されている情報だけを手がかりにした読み解きであり、当事者の内部事情を知って書いているものではない。
4か月という時間が意味すること
買収から譲渡の公表まで、おおよそ4か月しかない。統合作業でいえば、体制を作り、数字の見え方を揃え、優先順位を決めていく最初の期間にあたる。その最中に方向が変わったことになる。
また、60%のうち50%を先に手放し、残る10%を1年から2年かけて譲渡するという段取りが公表されている。公開情報からの推測にすぎないが、一度に全部を切らない形が選ばれている点は読み解きに値する。引継ぎや当局手続き、既存の契約関係の整理といった、時間でしか片づかないものが残っているときに取られやすい形だからだ。
即座に全部を手放せるなら、そのほうが早い。それをしないのは、対象会社に残っている実務が、買い手側から遠いところにあるという事情を示唆する。
買い手が買っているのは資産ではなく「経営が効く状態」
純資産49億9000万円に対し、売上高は25億円。工場も設備も従業員も、そこにある。資産の面では小さくない会社だ。
それでも「企業価値の保全や向上が困難」という判断になりうるのは、資産は経営されて初めてキャッシュを生むからである。数字が信用できない状態の会社では、まず何が起きているのかを掴む作業から始まる。在庫は実在するのか、売掛金は回収できるのか、原価はどう積まれているのか。これは事業を伸ばす仕事ではなく、事業の輪郭を引き直す仕事だ。
その作業を、誰がやるのか。買い手はここで、自社の人材の棚を見ることになる。
契約で取り返す道は、たいてい人の問題を解かない
買収前の会計処理に問題があった場合、契約上は表明保証違反として売主に責任を問える形になっていることが多い。ただし取り返せるかどうかは別の話になる。
※表明保証とは: 売主が「決算書は正しい」「訴訟は抱えていない」といった事実を契約書のなかで買い手に対して保証すること。後から違っていた場合、買い手は補償を請求できる。
請求できることと、回収できることは違う。相手が海外の個人株主であれば、資力も執行の実効性も読みにくい。回収に何年かかるかも分からない。そしてどれだけ補償を取れたとしても、その間に事業を誰が回すのかという問題は、契約書のどこにも書かれていない。
法務の詰めと人の手当ては、別々に進めておく必要がある。前者が終わっても後者は残る。
発覚直後に要る人は、成長を作る人ではない
不正が判明した会社で必要とされる経営人材の要件は、時期によってはっきり変わる。
発覚直後(およそ90日) に要るのは、事実を確定させ、資金の出入りを握る人である。会計と内部統制が分かること、現地の言語と商習慣に入れること、そして何より「止める」権限を持って送り出されていること。この段階でいちばん危ないのは、判断できない人を置いて時間だけが過ぎることだ。
再建期(1年から2年) に要るのは、数字の作り方そのものを組み替える人である。管理会計の設計、原価の把握、与信と回収の規律。ここは仕組みを入れ替える仕事なので、現地の実務に耐えられる粘りが要る。
成長期 に入って初めて、市場を取りにいく人が要る。
問題は、買収を決めた時点で買い手が思い描いている人材が、たいてい三番目だという点にある。買収の目的が事業拡大である以上、それは自然なことだ。だが最初に必要になるのは一番目の人であり、その人は社内で余っていない。財務と現地対応の両方ができて、しかも本社の要職から2年抜ける人は、どの会社にも数えるほどしかいない。
「現地経営陣に譲渡する」という形をどう読むか
買い手の側から見れば、その事業をいちばんよく知っているのは現地の経営陣である。自社から運べる人を出せないなら、運べる人の手に戻すという判断には合理性がある。少数株式を残しながら段階的に譲るのは、関係を切らずに離れる形でもある。
結果だけを見て採点する話ではない。クロスボーダーの買収で、買収前の会計処理を完全に見抜くことは現実には難しい。デューデリジェンスは時間と資料の制約のなかで行われ、現地の帳簿と実態の距離は、入ってみないと分からない部分が残る。
だから学びは「もっと調べるべきだった」ではなく、見抜けなかった場合に誰を送るのかを、買う前に決めておくという一点に置くべきだと考えている。
買う前の会議で、この一問を通しておく
「この会社の数字が想定と違っていたとき、誰を、いつから、何年送りますか」
答えられないなら、その買収は成立させられても運べない可能性がある。名前が出てこない、出てきても本人に打診していない、あるいは「現地に任せます」で終わる。この三つはどれも、同じことを別の言い方で表しているにすぎない。
クロスボーダーではさらに条件が厳しくなる。言語、在留資格、家族の帯同、報酬水準、そして本社に戻ってきたときの席。送り出す側の人事の問題が解けていないと、送れる人はいても動かない。
社内に候補がいないと分かったなら、外部から連れてくる前提で組む選択肢がある。当社はPEファンド投資先や事業承継といった、公開されない経営ポジションを扱っている。買収の可否を決める前段で、必要になる人材の要件を書き出し、その要件を満たす人が市場にいるのかを確かめておくことはできる。M&A後の経営体制に考え方をまとめた。
買収を決める会議と、経営人材を探す会議は、たいてい別々に開かれている。そこを一度つなぐだけで、買った後に選べる道の数が変わる。
