技術者や専門人材を得ることを主目的に会社を買うとき、通常のPMIの常識がそのまま逆に働く。統合を進めるほど、買ったはずの資産が減っていくからだ。
買ったのは人であり、その人がその会社で働いていた理由である。制度・評価・意思決定の順序を親会社に揃えた瞬間に、その理由のほうが先に消える。だから人材獲得型M&Aで最初に決めるべきは、何を統合するかではなく、何を統合しないかであり、それを社内に対して守り切れる人を置けるかどうかが成否を分ける。
※アクハイアリング(Acquihiring)とは: acquisition(買収)と hiring(採用)を組み合わせた言葉で、事業や顧客基盤よりも、そこにいる技術者・専門人材の獲得を主目的とする買収を指す。採用市場では確保しにくい人材を、チームや開発体制ごと取り込む手段として使われる。
報じられた事実
マールオンラインの報道によると、無線通信機器のアイコム(6820)は、人材獲得を主目的とするAcquihiring型のM&Aを加速する方針を示している。すでに2023年にソフトウエア受託開発の会社を、2024年に無線通信システムの構築・設置を手がける会社を子会社化しており、2027年3月期から2030年3月期までの4年間で年1社ずつの取得を目指すという。M&Aを含む新規ビジネス投資には約20億円を予定していると報じられている。
背景として同社が挙げているのは、通信インフラの多様化やAI対応への要望拡大と、労働人口の減少による構造的な人手不足である。研究開発体制を強化するために、採用だけでは確保しにくい技術者やノウハウを企業ごと取り込む、という位置づけになる。
以下は、この報道を手がかりに人材獲得型M&Aという型そのものを一般化した読み解きであり、同社の内部の事情を知って書いているものではない。
通常のPMIとは、統合の向きが逆になる
事業や顧客を買うM&Aでは、統合度を上げるほど効果が出る。購買を束ね、管理機能を共通化し、重複する拠点を畳む。シナジーは、二社が一社になる度合いに比例して積み上がる。
人材獲得型では、この関係が成り立たない。買収対象の価値は貸借対照表ではなく、出社してくる人の中にある。 その人たちが会社を選んでいた理由は、たいてい次のようなものである。
- 決めるまでが速い。稟議が短い
- 技術の話が、技術の分かる人に直接届く
- 何を作るかを、現場が提案できる
- 少人数で完結するから、担当範囲が広い
親会社の制度を持ち込むと、この四つはほぼ例外なく細る。悪意があるからではなく、大きな組織の手続きは大きな組織の合理性でできているからだ。そして人材の毀損は、減損損失としてではなく退職届として現れる。数字に出るころには、買った理由が半分なくなっている。
「統合しない」は放置ではなく、例外を通し続ける仕事である
統合しない範囲を決めるのは簡単だが、守るのは難しい。統合しないとは、親会社の管理部門に対して例外を作り続けるということだからだ。
- 給与テーブルと評価制度を、当面は別で回す
- 開発の意思決定を、親会社の会議に上げない
- 稟議の決裁権限を、買収先の代表に残す
- 勤務形態や開発ツールを揃えない
どれも、人事・経理・情報システムの各部門から見れば「なぜそこだけ違うのか」という問いが立つ。統一を求める圧力は悪意ではなく、統制と公平性という正しい理由から来る。だから一度で終わらず、四半期ごとに繰り返し立ち上がる。
この例外を、理由を説明しながら通し続ける役割を置いていない買収は、二年目に静かに崩れる。 買収先の社長にはこの仕事はできない。親会社の中に説明の相手を持っていないからだ。親会社の管理部門長にもできない。統一を求める側の当事者だからである。
年1社を続けるなら、単発とは別の設計が要る
一度きりの買収なら、経営企画部のプロジェクトとして回せる。継続的に取り込む方針を掲げるなら、話が変わる。理由は二つある。
一つ目は、一社目の扱いが二社目以降の条件になること。 専門性の高い技術者のコミュニティは狭い。買われた会社の人たちが今どう働いているかは、次に交渉するオーナーや技術者に必ず伝わる。買収価格の交渉より前に、この評判が売り手の意思決定に効く。
二つ目は、繰り返し使える型が要ること。 人的観点のデューデリジェンス、キーマンの残留設計、統合しない範囲の標準、統合する範囲の移行手順。毎回ゼロから設計していては、年1社のペースには乗らない。
※キーマン条項とは: 買収対象の価値がごく少数の人物に依存している場合に、その人物が一定期間在籍し続けることを取引の条件として契約に書き込む取り決めのこと。株式譲渡代金の一部を後払いにする、退任時に返還を求めるなどの形をとる。ただし在籍を縛れても、意欲まで縛ることはできない。
この二つを担う機能は、常設にする必要がある。案件を見る目、統合の線を引く判断、社内の例外を通す交渉。この三つを別々の人に分けると、線引きの意図が伝言のうちに薄まる。 呼び方は会社によってM&A担当の執行役員でも、事業開発責任者でも、CSOでもよい。重要なのは、三つを同じ人が持つことである。
買収先に置く人に求められるもの
人材獲得型で買収先の経営を担う人に必要なのは、統合を推進する力ではない。むしろ逆で、次の三つになる。
1. 技術の中身が分かること。 完全に理解している必要はないが、何が難しくて何が難しくないかの区別がつく程度には分かっていること。ここが分からない人が来た時点で、技術者は敬意を持たなくなる。敬意を失った組織から人が抜けるのは早い。
2. 親会社に対して例外を通せること。 社内政治の腕力の話ではない。なぜこの範囲は統合しないのか、いつまでその状態を続けるのか、その間に何を測るのかを、管理部門が納得できる言葉に翻訳できるかどうかである。
3. 人が辞める理由を、先に潰しにいくこと。 買収直後に辞める人の理由は、報酬より先に「決まらなくなった」「話が通らなくなった」であることが多い。この二つは、報酬を上げても戻らない。
逆に、統制を効かせる人を送ると短期的には整う。数字の見え方は揃い、報告は綺麗になる。そのうえで二年目に人が抜ける。買った資産が、統合の成功と引き換えに減るという、この型の特有の失敗はこうして起きる。
買う前に決めておく五つ
契約を締結する前に、答えを持っておきたい。
- キーマンは誰で、何年残る前提か。 残留を支えるのは報酬か、裁量か。裁量なら、その裁量は誰の権限で保証されるか
- 評価と報酬は、どちらの制度で回すか。 揃えるとしたら何年後か。揃えないという選択も明示的に決める
- 開発の意思決定は、どちらの会議で決まるか。 ここが親会社に移った時点で、速度は失われる
- 買収先の代表を残すのか、送り込むのか。 残す場合、その人の報告先は誰か。買収先の代表と親会社の間に何層あるか
- 二社目を買うとき、一社目の人はどう関わるか。 買われた経験のある人が受け入れ側に立つと、二社目の統合設計の精度が上がる
この五つに答えを持たないまま進む買収は、契約書が精緻でも人が残らない。人を目的に買うM&Aで最後に効くのは、契約条件ではなく、そこに置く人である。
当社はPEファンドの投資先や事業承継など、公開されない経営ポジションを扱っている。買収後の体制をどう組むかを検討されている段階でも構わないので、M&A後の経営体制についてから相談してもらえればいい。
