上場企業を買って非公開化したとき、買い手がいちばん軽く扱いがちな論点がある。被買収会社の社長の仕事が、上場廃止の日を境に中身ごと入れ替わるという事実である。
席は残る。肩書きも残る。だから続投か交代かだけを議論して、仕事の作り替えを設計しない。その結果、半年後に「報告が遅い」「数字が粗い」という評価が立つ。本人が劣化したのではなく、切り替えが行われていないだけである。
報道された事実
マールオンラインの報道によると、半導体製造装置向け部材などを手がけるフェローテックが、電子部品製造・販売の日本抵抗器製作所をTOBで完全子会社化する。日本抵抗器製作所はTOBに賛同し、株主に応募を推奨することを決めた。TOBが成立すれば、東証スタンダード市場への上場は廃止となる。
買付価格は1株1,901円で、公表前日の終値に44.23%のプレミアムを乗せた水準。買付代金は約23億5,100万円。買付期間は9月18日から11月5日まで。日本抵抗器製作所は1943年に富山県で設立され、1964年に東証2部へ上場している。
※TOB(株式公開買付け)とは: 買付期間・株数・価格を公表したうえで、取引所の外で不特定多数の株主から株式を買い集める手続き。上場会社を子会社化・非公開化するときの標準的な手段である。買い集めた結果、株主数や流通株式数が上場基準を割ると上場廃止となる。
以下は公開情報から一般論として書くもので、この案件の内部事情を知って書いているわけではない。ただ、60年以上上場していた会社が一つの資本の下に入るという形は、これから増える。買い手が先に決めておくべきことを整理する。
消えるのは「外に説明する仕事」である
上場会社の社長の時間は、相当部分が外向きの説明に使われている。四半期の開示、決算説明、株主総会、社外取締役への事前説明、監査法人との折衝、IR取材。上場廃止でこの大半が消える。
ここで買い手がやりがちなのが、空いた時間を「事業に集中できる」と読むことである。半分は正しいが、半分は間違っている。消えた仕事の代わりに、性質の違う説明の仕事が始まるからだ。
親会社に対する説明である。これが外向きの説明と決定的に違うのは、次の3点になる。
- 相手が一人になる。 分散した株主への開示は、最大公約数に向けた説明でよかった。親会社は事業の中身を知っていて、前提となる数字の作り方まで詰めてくる。総論では通らない
- 目的が事後から事前に移る。 開示は「決まったことを正しく伝える」仕事である。親会社への説明は「これから決めることの承認を取る」仕事になる。上げる情報の粒度も、上げるタイミングも逆になる
- 区切りが変わる。 四半期という外から与えられたリズムが消え、親会社の中期計画とグループの資本配分のサイクルに従うことになる。自分で区切りを作れない人は、動きが止まる
つまり、上場会社の社長として優秀だった能力のうち、正確に開示する力と、市場の期待を管理する力は、非公開化の瞬間に値段を失う。 代わりに、グループの資源配分の場で自社の取り分を取りにいく力が要る。上場会社の社長には要らなかった力である。能力の優劣ではなく、経験の有無の問題として扱うべきところだ。
続投と交代を、事業の連続性だけで決めない
長く上場していた会社では、顧客・技術・人が社長個人に紐づいていることが多い。だから続投には合理性がある。ここまでは多くの買い手が正しく判断する。
判断を誤るのはその次である。続投させるなら、仕事の作り替えを買い手が設計して渡さないといけない。 放置すると、旧社長は開示のリズムで動き続ける。四半期が閉まってから数字をまとめ、まとまってから報告する。親会社は稟議のリズムで動いているので、決まる前に情報が要る。ここがずれたまま半年が経つ。
逆に、交代を選ぶなら要件はこう変わる。上場会社の社長経験は、この席ではさほど効かない。 効くのは、グループの一員として子会社を経営した経験である。親会社の承認を取りながら自社の投資を通した経験がある人は、非公開化後の1年で最も早く立ち上がる。この論点はM&Aした子会社の社長は入れ替えるべきか続投すべきかとも重なるので、併せて読んでいただきたい。
要件定義でやるべき3つ
- 消える仕事を、名前を挙げて棚卸しする。 開示、IR、株主総会、社外役員対応。これらに使われていた時間が何に振り替わるのかを、クロージング前に書き出す。書き出さないと、時間は空いたまま埋まらない
- 決裁ラインを先に文書化する。 いくらまでを子会社社長が決め、どこからが親会社の承認か。金額だけでなく、人事・契約・投資の種類ごとに線を引く。ここが曖昧なまま統合すると、子会社社長は全部を上げるか、全部を自分で決めるかのどちらかに振れる。 中間は自然には生まれない
- 上場廃止で外れる規律のうち、残すものを決める。 内部統制の評価や監査の一部は、法令上は不要になっても、経営の目としては要る。上場廃止をコスト削減とだけ読んだ会社が、数年後に子会社で事故を起こす。何をやめるかを、やめる理由とともに決める
面接・対話で確かめる3つの質問
続投候補にも外部候補にも、同じ質問が効く。
- 直近3年で、自分の決裁権限を超える投資を通したときの手順を教えてください。 誰に、どんな資料で、何回説明しましたか
- 四半期開示が無くなったとして、何を自社の経営の区切りにしますか
- 親会社と意見が割れたとき、どこまでは譲り、どこからは譲らないと決めていますか
1つ目で、社外の権限者を説得した経験の有無が出る。2つ目で、外から与えられたリズムに依存していたかどうかが出る。3つ目に即答できない人は、グループ内での立ち位置を考えたことがない。 立ち位置を決めていない子会社社長は、親会社の要求をすべて飲むか、すべて抵抗するかに振れて、どちらも統合を遅らせる。
レファレンスでは、前職の社外取締役や主幹事証券ではなく、事業側の役員と、直属の部下に当たるのがよい。外向きの説明能力は非公開化後に使わない能力であり、そこを高く評価する人からの評価は、この席の判断材料にならない。
着任後100日で通すべきものは、小さくていい
最初の30日で決裁ラインの文書化を終える。60日で消える仕事の棚卸しを終える。そして90日以内に、親会社の承認が要る案件を1本、実際に通す。
規模は小さくてよい。目的は投資そのものではなく、承認を取るという手順を組織に一度通すことにある。この1本を通した会社と通していない会社では、1年後の子会社の動き方が明確に違う。最初の稟議を大型案件でやろうとして、準備に半年かけてしまうのがよくある失敗である。
グループ体制そのものの設計についてはPMIの成否を決定づける「グループ企業の経営陣体制」に整理してある。買収後に経営を任せる人の要件定義からご相談されたい方は、M&A後の経営体制についてをご覧いただきたい。
