「うちは、このまま一社で続けるのは難しい」。そう感じているとしたら、それは会社を渡せない理由ではありません。買い手の側が、まさにそういう会社を探していることがあります。
上場企業が、運営を続けることや後継者のことで課題を抱えている先を取得して、価値を作り直す——そういう方針を公表する例が出てきています。続けにくさを承知の上で、それでも買うという意思表示です。
なぜそうなるのか。そして、そう考える買い手が実際に値段を付けているのは会社の何なのか。順に書きます。
報道された事実
マールオンラインの報道によると、「学研教室」などで知られる学研ホールディングス<9470>の子会社メディカル・ケア・サービスが、2026年9月、高付加価値型の有料老人ホーム「エレガリオ神戸」を運営する会社の全株式を取得しました。
- 対象の施設は神戸ポートタワー近くに位置し、一般居室121室と介護居室32室を備える。展望スカイラウンジや大浴場などの共用設備があり、長年勤めるスタッフが入居者の生活を支えているとされる
- 同社グループは2年間の中期経営計画で、高付加価値施設の展開と、成長に資する戦略的なM&Aを掲げている
- 今回の買収では、単独での持続的な運営に課題を感じている施設や、事業承継を模索する施設に対し、グループのノウハウを組み合わせて施設の価値を再構築し、持続可能な運営を目指す方針が示された
- M&Aやデジタル基盤、人材などへの戦略投資に、計画期間中で総額150億円規模を確保する計画とされる
※株式譲渡とは: 会社の株を買い手に渡すことで、会社そのものを引き継いでもらう方法です。会社の名前も、従業員との雇用契約も、取引先との契約も、原則そのまま続きます。事業だけを切り出して渡す方法との違いは、会社ごと渡すか、事業だけ渡すかの論点と併せて考えることになります。
ここから先は公開されている情報をもとにした当社の見方です。この会社の内部の検討を知って書いたものではありませんし、個々の施設の事情に当てはまるとは限りません。業種も介護に限った話ではないので、ご自身の会社に当てはまる部分だけを取ってください。
なぜ買い手は「一社では続けにくい会社」を探すのか
意外に思われるかもしれませんが、理由は単純です。一社では続けにくくなる原因が、規模で解けるものに偏っているからです。
オーナー経営の会社が「このままでは厳しい」と感じるとき、その中身はたいてい次のどれかです。
- 人が採れない。採っても育てる仕組みがない
- 制度や法律が変わるたびに、対応を調べて作り直す負担が重い
- システムへの投資が、一社の規模では回収できない
- 設備の更新や新しい拠点に、資金を出す体力がない
- 社長が倒れたら止まる
ここが肝心なところです。この5つは、どれも会社の「現場の力」が落ちたから起きているのではありません。 現場は回っている。回らないのは、現場を支える後ろ側の機能——採用、教育、仕入れ、システム、資金調達、制度対応——で、これらは件数が多いほど一件あたりの負担が軽くなる性質を持っています。
一社で10人採るための仕組みと、グループで300人採るための仕組みは、作る手間がほとんど同じです。だから一社では割に合わず、グループなら割に合う。買い手が持っているのはこの後ろ側の機能であって、現場の力ではありません。
つまり買い手から見た取引は、こうなります。自分たちが持っていない「現場」を手に入れ、自分たちが持っている「後ろ側」を足す。 続けにくさは、足す側で解ける前提だから、障害にならないのです。
だから買い手が値段を付けるのは、利益の前に「作り直せないもの」
この構造が分かると、買い手が何を見ているかの説明がつきます。利益が出ていることは、もちろん見られます。しかしそれ以上に見られているのは、お金と時間をかけても自分たちでは作れないものです。
| 買い手が自分で作れないもの | なぜ作れないのか |
|---|---|
| 立地と、そこにいる顧客 | 同じ場所は二つない。新設は用地と許認可から始まり、数年かかる |
| 長く勤めている現場の人 | 採用はできるが、十年勤めた人は採用では手に入らない |
| 許認可・指定、その実績年数 | 取得には要件と時間が要る。過去の実績は買わなければ付いてこない |
| 地域での評判と紹介の経路 | 広告費では置き換えられない |
先に引いた報道で、施設の紹介に**「長年勤めるスタッフ」**が出てくるのは示唆的です。公表資料の書き方に過ぎないとも読めますが、少なくとも買い手がそこを価値として並べていることは分かります。
逆に言えば、利益が細っていても、この4つが残っている会社には値段が付きます。 利益は後ろ側の機能で作り直せる範囲が大きく、立地と人と許認可は作り直せないからです。
業種別にどこに値段が付くかは工事会社で買い手が何に払っているかでも触れていますが、考え方の軸は同じです。
価値を下げてしまうのは、社長の頭の中にしかないもの
一方で、買い手が引いてしまう要素もあります。ただしこれは会社の欠点ではなく、渡す準備がまだ済んでいないという状態です。
- 判断の基準が、社長の中にしかない。 値段の決め方、受けない仕事の線、人を採る基準。本人にとっては当たり前なので、言葉になっていないことが多い
- 決算書から、本当の稼ぐ力が読み取れない。 税金を抑えるために作られた決算書は、オーナー会社ではごく普通のことです。ただし買い手は、そこから実力を読み直す作業をしなければなりません(オーナー会社の決算書の読み直し)
- 会社と社長個人のお金や資産が混ざっている
- 株が家族や元役員に分散している
このうち最初のものが、いちばん時間がかかります。詳しくは社長の頭の中にある判断をどう渡すかに書きました。
早いほうがいい理由は、脅しではなく算数です
急かすつもりはありません。ただ、時間の経過で確実に減るものが二つあります。
ひとつは、長く勤めている人の残り年数です。買い手が価値として見ているのがその人たちなら、その価値は毎年目減りします。
もうひとつは、社長自身が引き継ぎに使える体力と時間です。株式譲渡の後、前の社長が一定期間残って引き継ぎをする形は珍しくありません。その期間を自分の都合で設計できるかどうかは、健康なうちに動いたかで決まります。
逆に、増えるものもあります。準備した分だけ、買い手が読み解く手間が減り、条件の交渉が早く終わります。
いまから用意できる3つ
- 断った仕事を、理由付きで3件書き出す。 受ける仕事の基準より、断る基準のほうが会社の輪郭を表します。これは社長しか書けません
- 現場の主要な人の勤続年数と、担っている役割を一覧にする。 誰が抜けたら何が止まるかを、自分のために把握しておく。買い手に出す前に、自分が知っておく資料です
- 会社名義と個人名義を分ける。 車、不動産、保険、貸し借り。混ざっている分は、どちらに寄せるかを決めるだけでも進みます
どれも、売ると決めていなくても損になりません。会社を手放す準備ではなく、会社を残せる状態にする作業です。渡さないと決めたとしても、判断の基準が言葉になり、誰が抜けたら止まるかが分かっている会社は、そのまま強い会社です。
相手は同業の中にいるとは限らない
今回の例は、教育出版から始まった会社が高齢者向け事業を育ててきた中での買収です。異業種から来る買い手が、後ろ側の機能を持って現場を探しているという形は、介護以外でも起きています。同業の中に相手が見つからないことは、相手がいないことと同じではありません(会社を譲る相手は同業の中にしかいないわけではない)。
従業員の雇用がどうなるかは、多くのオーナーが最初に気にされる点です。契約で守れる範囲と守れない範囲があるので、会社を譲ったあと、社員の雇用はどうなるかも併せてご覧ください。
後継者が社内にも親族にもいない場合に、外から経営を引き受ける人に任せて会社を残すという道もあります。考えはじめた段階での整理から承ります。後継者をお探しの方へをご覧ください。
なお本記事のうち、買収の事実・施設の規模・方針・投資計画の金額はマールオンラインの報道によるものです。そこから先の「なぜ買い手がこの型を探すのか」「何に値段が付くのか」の整理は、公開情報をもとにした当社の考察です。
