「役員として採用したい」と言われて内定を受けても、その時点であなたは役員ではありません。取締役は採用されるものではなく、株主総会の選任決議で選ばれるものだからです。
つまり、一般の転職にある「内定→入社」の間に、株主総会という関門がもう一つ入ります。総会がいつ開かれるかで入社日と就任日はずれ、多くの場合そのずれは数か月あります。
そして、ずれている期間のあなたの身分は、従業員・執行役員・業務委託のいずれかです。どれなのかで、退職金・社会保険・選任されなかったときに席が残るかが全部変わります。ここを確かめずに前職を辞めるのが、役員採用でいちばん起きている事故です。
「採用」と「選任」は、別の手続きである
取締役は、株主総会の決議によって選任されます(会社法329条1項)。会社が誰かを取締役にしたいと思っても、決議がなければ就任しません。会社との関係も雇用ではなく委任です(同330条)。
だから役員採用の選考が終わったあとに、こういう順序が残ります。
- 会社が候補者と合意する(ここが「内定」と呼ばれている段階)
- 取締役会などで、株主総会に諮る議案として決める
- 株主総会で選任決議を取る
- 本人が就任を承諾し、就任登記をする
問題は3の総会がいつ開かれるかです。
定時株主総会を待つ場合、決算期末から3か月以内に開かれるのが通例なので、3月決算の会社なら6月です。1月に合意しても、就任は6月になります。
臨時株主総会を開く場合、待つ必要はありません。ただし招集の手間は株主構成で大きく違います。オーナーが株式のほとんどを持つ非上場企業なら実質数日で開けますが、株主が分散している会社や上場企業では、基準日の設定と招集通知の実務で1〜2か月はかかります。ファンドが過半を持つ投資先なら、ファンドの投資判断のプロセスが先に来ます。
確かめるべきは「就任はいつですか」ではなく、「どの総会で選任決議を取る予定ですか。定時ですか、臨時ですか」です。 前者には「4月から来てください」という入社日の答えが返ってきます。それは就任日ではありません。
ずれている期間、3つのうちどれで入るのか
ここが本題です。会社は空席を待ってはくれないので、多くの場合、選任決議の前に働き始めます。そのときの身分は3通りあります。
1. 従業員として入る(部長・本部長・事業部長などの肩書き)
雇用契約なので労働法の保護があります。就業規則と退職金規程の対象です。解雇には制限がかかります。選任されなかった場合も、従業員としての席は残ります。
2. 執行役員として入る
執行役員は会社法上の役員ではなく、会社が内部で置いている役職です。契約の形は会社によって違い、雇用型と委任型があります。委任型なら労働者ではないので、労働法の保護は外れます。同じ「執行役員」の名称で中身が逆になるので、契約書を見ないと判断できません(→執行役員と部長の違いは、序列ではなく契約にある)。
3. 業務委託・顧問として入る
委任・請負なので、社会保険も労災も雇用保険もありません。報酬は給与ではなく外注費として処理されます。契約期間が定められ、更新されなければ終わります。
※なぜ3つに分かれるのか: 会社側の都合で決まっていることが多く、候補者を試す意図とは限りません。社会保険の手続きを避けたい、人件費の枠が空くのが期首だ、取締役会に諮る前に現場と合わせたい——どれもありえます。だから理由を聞けば答えてもらえます。
選任されなかったとき、何が残るか
これを先に決めておくかどうかで、リスクの大きさが変わります。
従業員として入っていれば、席は残ります。ただし「役員になるために来た人」が部長のまま残るという状態は、本人にも周囲にも説明が要ります。席が残ることと、そこで働き続けられることは別の話だと考えておくほうが安全です。
委任型の執行役員や業務委託で入っていた場合、契約を終えられたら何も残りません。 退職金もなく、失業保険も出ません。前職を辞めてきているので、無収入の期間が発生します。
決議が通らない理由は、本人の評価とは無関係なことが多いです。株主が交代した、総会までに業績が悪化して役員報酬枠を増やせなくなった、社内の反対が固まった、そもそも議案に載せてもらえなかった。どれも候補者側では動かせません。
だからオファーを受ける前に、「選任決議が得られなかった場合、私の処遇はどうなりますか」を書面で確認します。 口頭で「そんなことはありません」と言われたら、それは答えになっていません。
就任した瞬間に、もう一度身分が切り替わる
無事に選任されても、そこで終わりではありません。取締役になる時点で、従業員としての地位を退くのが原則です(使用人兼務取締役として残る設計もありますが、その場合は労働者性がどこまで残るかを別に確認する必要があります)。
このとき起きることが3つあります。
従業員としての退職金が精算される会社と、されない会社がある。 精算されるなら受け取っておくのが原則です。就任後の役員退職慰労金は株主総会の決議が必要で、制度自体を廃止している会社も増えています。「役員になったときにまとめて」という説明は、根拠のない約束になりがちです(→会社役員の退職|退職金は総会決議まで出ない、失業保険もない)。
任期が始まる。 取締役の任期は、原則として選任後2年以内に終わる事業年度の定時株主総会までです(会社法332条1項)。非公開会社は定款で最長10年まで伸ばせます。任期満了で再任されなければ、解任ではなく退任という形で席がなくなります。
解任は、株主総会の決議でいつでも可能になる。 正当な理由がない解任には損害賠償を請求できますが(同339条)、請求できるのは金銭であって、席は戻りません。雇用契約の解雇制限とは性質が違います。
雇用保険の被保険者からも外れます。次を探す期間の収入は、自分で用意しておくものになります。
選考中に確かめる5つ
順番に効きます。
- どの総会で選任決議を取る予定か。 定時か臨時か。臨時なら、招集を決めるのは誰か
- 決議までの身分は何か。 従業員・執行役員(雇用型か委任型か)・業務委託のどれか。オファーレターか覚書に書いてもらう
- 決議が得られなかった場合の処遇は何か。 席が残るのか、契約が終わるのか
- 従業員退職金は、就任時に精算されるか。 役員退職慰労金の制度はあるか
- 任期は何年か。 直近で任期満了により再任されなかった取締役はいるか
5番目は聞きにくいですが、答え方に情報が出ます。「ここ数年は全員再任しています」と即答する会社と、言葉に詰まる会社では、取締役会の位置づけが違います。
そもそも「役員採用」と書かれていても役員ではない募集がある
求人の表記で「役員」が使われるとき、登記される取締役を指しているとは限りません。執行役員・本部長・CxO職名のいずれも「役員」と書かれます。
見分け方は一つです。登記されるかどうかを聞く。 登記される取締役であれば、選任決議と任期の話が必ずセットで返ってきます。返ってこなければ、それは会社内部の役職です。
執行役員は、次の選考でも「役員経験」としては読まれにくいことに注意してください。決議側にいなかったという制度上の事実が残るためです(→執行役員の転職は「役員経験」として読まれない)。格は上がっても、経歴としての意味は変わらないことがあります。
選任のスケジュールから逆算して、辞める日を決める
まとめると、役員採用の実務は次の順で動きます。
- 総会の時期が、就任日を決める
- 就任日と入社日のずれが、ずれている期間の身分を決める
- その身分が、選任されなかったときに何が残るかを決める
だから現職を辞める日は、内定が出た日ではなく、この3つが確定してから決めます。 「4月から来てほしい」と言われても、選任が6月で、4月からの身分が業務委託なら、それは3か月分のリスクを自分で持つという話です。持ってよいリスクかどうかは、報酬とポジションの魅力と合わせて判断するものですが、判断していないまま持たされるのは避けられます。
当社は、PEファンド投資先や事業承継の局面で、公開されていない経営ポジションを扱っています。こうした案件では選任のスケジュールが投資や承継の日程と紐づいているため、就任日が先に決まっていることも珍しくありません。動ける時期を先に整理しておきたい方は、非公開の経営ポジションからご連絡ください。
