代表取締役の転職では、一般的な「次が決まってから辞める」という順序が取れません。理由は、退任日を自分だけでは決められないからです。
社員の転職なら、内定を得てから退職を申し出れば成立します。代表取締役は逆で、いつ抜けられるかの目処が立っていないと、相手側が最終合意できません。 就任日が決められないからです。
つまり、探し始めるより前に「自分がいつ抜けられるか」を確定させる作業があります。ここを知らずに動き始めた人が、いい話を最後で落とします。
順序が逆になる、ということの意味
一般的な転職の順序はこうです。
探す → 選考 → 内定 → 退職を申し出る → 引き継ぎ → 入社
代表取締役の場合、この4番目が独立した工程になりません。退任は会社の機関決定と登記を伴う手続きで、相手企業・株主・金融機関を巻き込みます。結果として、実際の順序はこうなります。
抜けられる時期を確定させる → 探す → 選考 → 合意 → 退任 → 就任
選考の途中で「いつから来られますか」と聞かれたとき、「辞任を申し出てから調整します」と答えると、話はそこで止まりがちです。止まる理由は候補者の能力ではありません。先方が就任日を置けないポジションは、機関決定の議案にできないからです。
なぜ、自分だけで退任日を決められないのか
代表取締役と会社の関係は雇用ではなく委任です(会社法330条、民法の委任の規定が準用されます)。委任はいつでも解除できるのが原則なので、「辞任は自由」と説明されることがあります。法律上はそのとおりですが、辞任の意思表示ができることと、実際に抜けられることは別の話です。 実務上、次の3つが効きます。
1. 後任がいなければ、辞任しても権利義務が残る
代表取締役が欠けた場合、または定款で定めた員数を欠くことになった場合、辞任により退任した代表取締役は、新たに選定された代表取締役が就任するまで、なお代表取締役としての権利義務を負います(会社法351条1項)。取締役についても同様の定めがあります(会社法346条1項)。
いわゆる権利義務取締役の状態です。辞任届は受理されているのに、対外的にはまだ代表者であり続ける。この状態で新しい会社の代表に就くことは、現実的には選べません。
後任不在のときの具体的な手続きは代表取締役は「退職」ではなく「辞任」するに整理しています。
2. 任期と株主総会のサイクルに乗せる必要がある
取締役の任期は原則として、選任後2年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までです(会社法332条1項)。非公開会社であれば定款で最長10年まで伸ばせます(同条2項)。
後任の選任が定時株主総会の議案として組まれる会社では、任期満了のタイミングに合わせるのが最も摩擦が少ないことになります。オーナー企業で株主が実質1名なら臨時株主総会をすぐ開ける一方、株主が分散していれば招集に日数がかかります。自社がどちらかで、動ける幅が大きく変わります。
3. 代表者の交代は、登記で公示される
代表取締役の変更は登記事項であり、変更が生じたときから2週間以内に登記しなければなりません(会社法915条1項)。登記は誰でも取得できます。
つまり、あなたが会社を離れた事実は、遅かれ早かれ公開情報になります。 取引先も金融機関も、採用候補先も見ることができます。これは隠せない前提として設計に織り込む必要があります。
探し始める前に確定させておく3つ
順序が逆になる以上、最初にやるのは求人を見ることではありません。次の3つを、自分の中で数字と日付にしておきます。
1つ目は、退任可能な最短日と現実的な日。 後任が社内にいるのか、探す必要があるのか。株主総会をいつ開けるのか。この2点から、最短と現実の2つの日付を出します。「半年くらい」ではなく、「最短で◯月の臨時株主総会、現実には◯月の定時株主総会」という粒度まで落とします。
2つ目は、個人保証の扱い。 金融機関の経営者保証は、退任したからといって自動的に外れるものではありません。保証を外す交渉、あるいは後任への切り替えには時間がかかります。これが片付く見込みを持たずに退任日を約束すると、後で動けなくなります。
3つ目は、自分にかかっている制約の棚卸し。 在任中の競業取引には会社の承認が要り(取締役会設置会社では会社法365条1項)、退任後については契約や誓約書の定めが効きます。制約は1枚の誓約書だけではなく複数の層で重なっているので、役員の転職にかかる制限は3層あるを先に確認しておくと、後から出てくる話が減ります。
この3つが出ていれば、選考で「いつから来られますか」と聞かれたときに、日付で答えられます。
「いつから動けます」と答えられるかが、分岐点になる
経営者のポジションは、選ぶ側が「この日に就任してほしい」という具体的な事情を持っていることがほとんどです。投資実行の直後、期初、承継の登記に合わせて、といった事情です。だから、就任可能日は評価項目の一つとして機能します。
同じ経歴の2人がいて、片方が「◯月の定時株主総会後に退任できます。後任は社内の◯◯が就く段取りです」と説明でき、もう片方が「調整次第です」としか言えない場合、後者が落ちるのは能力の差ではありません。先方が議案にできるかどうかの差です。
ここは準備で埋まる差なので、埋めておくのがもったいなくない領域です。
情報を、誰にどこまで出すか
代表取締役が動いていることが社内に伝わると、その瞬間から組織が別の動き方を始めます。取引先や金融機関に伝われば、与信の見直しにつながることもあります。だから多くの人が、誰にも言わずに調べることから始めます。
この「言えない」という条件が、経営者のポジションが公開の求人にならない理由の一つでもあります。募集する側も、代表を替えることを公開できません。結果として、経営者の採用は非公開のまま、限られた経路だけで動きます。この構造についてはCEOへの転職は、求人サイトに出ない。では、どこで決まっているのかに書きました。
実務的には、最初に相談する相手を、守秘が仕事として成立している相手に限るのが安全です。社内の誰か、あるいは取引先に一度でも出た話は、戻せません。
逆算すると、動き始めるのは思っているより早い
退任可能日を確定させる作業に1〜3か月、探して選考が進むのに数か月、退任と就任の手続きにさらに数か月。定時株主総会のサイクルに乗せるなら、動き始めるのは希望する就任日の1年近く前になることも珍しくありません。
これは「急いだほうがいい」という話ではなく、準備と探索を並行させたほうがいいという話です。退任可能日が固まってから探し始めると、せっかく固めた日程が、探している間に過ぎていきます。
順序が逆になるのは、代表取締役という立場が、会社の機関と登記に紐づいているからです。立場が重いぶん、抜けるのに手続きが要る。それだけのことで、乗り越えられない壁ではありません。ただ、知らずに最後の段階でぶつかると、話そのものが消えます。
当社は、PEファンドの投資先や事業承継など、公開されない経営ポジションを扱っています。退任の段取りが固まる前の段階でのご相談も受けています。経営者としてのキャリアについてもご覧ください。
