経営幹部として迎えられる場面で「権限はお任せします」と言われたとき、確かめるべきなのは相手の本気度ではない。取締役会に何を上げなければならないかが、どこにどう書かれているかである。
というのも、権限委譲の範囲は、任せる側の意思とは別のところで先に決まっているからだ。「任せたい」と本心で言っている社長の下でも、決められないことは決められない。 その線引きがどこにあるのかを、順に見ていく。
「任せる」と言った人が嘘をついているわけではない
まず外しておきたい誤解がある。入社後に「聞いていた話と違う」となったケースの多くは、誰かが騙したわけではない。
会社法は、取締役会設置会社について、取締役会が決めなければならず、個々の取締役に委任できない事項を定めている。重要な財産の処分および譲受け、多額の借財、支配人その他の重要な使用人の選任および解任、支店その他の重要な組織の設置・変更・廃止などがこれにあたる(会社法362条4項)。
つまりこれらは、社長が「君に任せた」と言ったかどうかに関係なく、取締役会に上がる。委譲の意思では動かせない層が、制度としてまず存在している。
(監査等委員会設置会社で取締役の過半数が社外取締役である場合など、一定の条件下ではこの範囲が広がる仕組みもあるが、非上場の中堅企業では該当しないことが多い。)
問題は、面談の場でこの説明がされないことだ。任せる側にとっては当たり前すぎて言語化されず、迎えられる側は「任せる」を額面どおりに受け取る。両者とも誠実なまま、期待だけがずれる。
委譲の実体は、三つの文書に書かれている
では実際の線引きはどこを見れば分かるのか。次の三つである。
一つめは、職務権限規程。 社内の決裁が金額と項目で区切られている表で、自分がどこまでを起案し、どこからが上位の決裁になるのかが書かれている。最も目に触れやすい文書だが、後述するとおり、あてにならない会社も多い。
二つめは、取締役会付議基準。 法律上必ず取締役会にかける事項に加えて、その会社が自主的に「これも上げる」と決めた事項が並んでいる。会社によって幅が大きく、一定額以上の契約、幹部人事、新規事業の開始などが入っていることがある。ここを見ると、その会社が実際に何を重く扱っているかが分かる。
三つめが、株主との間の契約である。 投資ファンドが資本参加している会社や、資本業務提携のある会社では、投資契約や株主間契約に事前承諾事項が置かれていることがある。年度予算、一定額を超える借入、幹部の選解任、M&Aなど、経営の根幹に近い事項ほど対象になりやすい。
※事前承諾事項(拒否権条項)とは: 一定の重要事項について、実行する前に特定の株主の同意を得なければならないと契約で定めておく仕組みです。株主総会や取締役会の決議とは別に効く社外の関門で、社内の権限規程を読んでも存在が見えません。
三つのうち最も強く効くのが三つめでありながら、候補者の目に最も触れにくいのもこれである。 社内の誰も隠していないのに、聞かれなければ話題に出ない類の情報だからだ。
「権限が無い」のではなく「委譲の受け皿が無い」会社も多い
もう一つ、中堅企業やオーナー企業でよく起きる状況がある。職務権限規程はあるが、実質的に運用されていないというものだ。
創業から社長が事実上すべてを決めてきた会社では、規程は整備の形跡として存在するだけで、日々の意思決定は社長への相談で流れていく。ここに外部から幹部が入ると、直面するのは「委譲してもらえない」ではなく、**「委譲するための仕組みがまだ無い」**という状態になる。
この会社での最初の仕事は、成果を出すことではない。どの決定を誰がどこで決めるのかを、動かせる形にすることである。 そしてこれは、入る前に合意しておかないと非常に厄介な仕事になる。合意がないまま進めれば、決めれば「勝手に決める人」と見られ、上げれば「何も決められない人」と見られる。どちらに転んでも、半年で信頼が薄くなる。
なお、決裁の範囲がその人の経験の読まれ方そのものを決めるという構造は、転職市場の側から見ても同じである。この点は社長の転職で見られているのは肩書きではないで詳しく触れている。
面談でそのまま使える三つの質問
以上を踏まえると、確認すべきことは次の三つに集約される。いずれも入社前の面談で聞いてよい。
- 直近1年で取締役会に上がった議案を、種類だけで結構なので教えていただけますか。 実際に上がったものを聞くのが要点である。基準の文面より、運用の実態が出る。
- 同じ役割の方、あるいは前任の方が、自分の判断で決めていた最大の金額はいくらでしたか。 規程上の枠ではなく、実際に決裁された額を聞く。ここが規程より小さい会社は、規程が機能していない会社である。
- 株主との間に、事前承諾が必要な事項はありますか。 前節の三つめを直接尋ねる質問である。
これらは失礼な質問ではない。 むしろ逆で、この三つを聞く候補者は、入ってから揉めない人として見られやすい。権限の話を避けて条件面だけを詰める候補者のほうが、任せる側にとっては不安が残る。
「権限が無かった」を転職理由にするときの注意
最後に、いま権限の狭さに行き詰まっている人が、それを転職理由として語る場面について触れておきたい。
「権限が無かった」という説明は、それだけでは弱く読まれる。 環境の側に理由を置いた話に聞こえるからで、聞き手は「次の会社でも同じことを言うのではないか」と考える。
強いのは、権限の範囲を自分で広げようとして、どこで止まったかを言えることである。決裁基準の見直しを提案したができなかったのか、提案が通って運用まで変えたのか。止まった原因が制度上の限界だったのか、信頼の蓄積が足りなかったのか。この二つを分けて語れる人は、次の会社でも同じ働きかけをする人だと読まれる。 権限は与えられるものであると同時に、実績を積みながら押し広げていくものでもある。
当社では、PEファンドの投資先や事業承継の局面にある企業から、非公開の経営ポジションをお預かりしている。こうした会社は決裁範囲や株主との関係がそれぞれ異なるため、事前に確認しておくべき点も一社ずつ違う。ご自身の状況に照らして整理したい方は、経営者としてのキャリアを考える方へからご相談いただきたい。
